私、実は岐阜県商工会青年部連合会(いわゆる県青連)の役員を勤めておりまして、このたび「県青連役員紹介」に文章を寄せることとなりました。本来は28日が締め切りでしたが、無理言って月曜朝一まで延ばしてもらいました。滑り込みで初稿ができましたので、よろしければご一読下さい。
私の住む中津川市は岐阜県の東の端、長野県との県境に位置します。2005年に旧恵那郡北部の恵北地域と長野県山口村が編入合併し、人口8万人の新生中津川市が誕生しました。2027年に開通するリニア中央新幹線の岐阜県駅ができる街としても注目を集めています。
市町村合併と同じ頃、恵北地域の加子母・付知町・坂下・福岡・蛭川の五ケ町村の商工会が合併して中津川北商工会となりました。現在私は加子母支部に所属し、東青連と県青連の役員を勤めています。2年1期の任は早くも折り返しを過ぎました。活動を通じで知り合ったたくさんの仲間との繋がりは、これからの私の人生の大きな糧となるでしょう。
私は中学時代より加子母を離れ、高校・大学・就職を経て25歳で加子母に帰り(株)中島工務店に入社しました。今年で創業58年を迎える中島工務店は、土木・建築・社寺・住宅を手掛ける、いわゆる地域ゼネコンです。他にも鉄工・木材加工・コンクリート製造・舗装・食料品販売等も手掛けています。
中島工務店の”根っこ”は、地域の雇用を創出することです。加子母で生まれ育った若人のほとんどが一度は加子母を離れます。私もその内の一人でした。大人になって加子母に帰って来たいと願っても、加子母に仕事がなければ帰ってくることは叶いません。自分達ができることはできるだけ自分達の仕事とする。加子母が、帰って来ることができる故郷であり続けることが私達の願いです。
12年間青年部に在籍する中で、半ば義務のような活動に疑問を持ったこともありました。しかし40歳を目前にし、数年前に先輩から言われた言葉がようやく分かり始めました。青年部の活動は地域の仲間が共有できる”思い出”をつくるための場であること。「あの頃一緒に頑張ったよな」と、十年後二十年後に振り返ることができる思い出や仲間は一生涯の宝物です。もちろん青年部の活動には地域貢献や振興といった大儀はありますが、まずは地域を支える仲間との思い出づくりの場として、日々の活動を自分のために楽しんで欲しいと思います。
ノッポ林君、これでなんとかお願いします。
中島 大地 〇